HOME RECORDING DEMO ARCHIVE SERIES VOL.30
解説
01 急に海を見たいと言う
前回からの続きで、もちろん、「誇りの報酬」の主題歌用に書いた曲。よくでき
ている。特にサビからは中村雅俊さん風に上手く書いたと思ったのに、またNGが出
た。これは暗すぎるという判断だったのだろうか。
02 YOU’RE LIGHT
この頃、よっぽど忙しかったのか、この曲は、ラベルに書かれていない。曲を作ったことも、忘れてしまうほど時間がなかったということか。
僕の場合、基本的には、曲を仕上げたら、まず、仕事先の担当者に渡す普通のカセットにトラックダウンをして、そのカセットに、曲名と日付を記録。それから、家に保存するためのMASTERカセットにトラックダウンして、また、曲名と日付を記録するようにしていたはずなのだが、いつの間にか、MASTERカセットに日付を記録する時間も惜しくなり、とうとう、曲名も「あとで書けばいいや」となったのだろう。
この後、曲名が抜かされているだけでなく、MASTERカセットのタイトル(僕の場合、何年何月何日から何年何月何日まで、を書いたのがそのカセットのタイトルだった)さえも、書かれていないMASTERカセットが、実は、この、MASTERカセットの次の次から5本続く。6本目を作っているときに、タイトルが書かれていないことに気がついたが、そのカセットの日時がわからないので、その場凌ぎで、古い順に、-6から-2までタイトルをつけた。そして、その6本目には-1の他に、なんとか記憶を蘇らせて、日付も書いた。そこからは、タイトルに日付とともに、ナンバーも、入ることになった。
そのナンバーは89年の21まで続くことになる。
ちなみに、この曲は、30秒しかないので、多分何かのCM用に書いたのだと思うが、もちろん、なんだか覚えていない。
03 日付変更線
とうとうやりました。これが「誇りの報酬」の主題歌です。確かにポップで哀愁があって、覚えやすい。ヒットの要素が3拍子揃っている。
04 アバンチュールはゴージャスに
誇りの報酬の挿入歌として風見律子さんが歌って、シングルになった曲。誇りの報酬のアルバムにも収録されている。収録分は、国木田さんがちゃんと歌詞を書いてくれているが、僕が書いたこの歌詞は、サビの一行目の歌詞が意味不明だ。でもきっと、僕としては、その時、どうしてもこの1行を使いたかったのだと思う。
05 星追い人にさよならを
1985年に、かまやつさんと森山良子さんが司会をしていた東急ミュージックプラザに出演して5箇所くらい日本を回ったことがある。その時に、司会の二人がミュージカル風に舞台の上で、歌で芝居をするシーンがあって、そのために書いた曲。締め切りに間に合わなくて、結局、誰にも聞かせていない様な気もするが、確か、この歌詞は山川啓介さんだったと思う。
この時に僕が歌った、Winter green and summer blueを聞いた、森山さんがWinter green and summer blueを気に入ってくれて、後にご自身のアルバムで、この曲を歌ってくれることになった。その時に別の曲も、何曲かプレゼントした。
06 マキシマム
多分、アバンチュールはゴージャスにのB面を頼まれて、2曲書いたうちの1曲だと思う。
07 恋の最終便
風見律子さんのB面にはこちらの曲が選ばれた。
08 ANTI LOVE
「星追い人にさよならを」の解説で書いた森山良子さんのアルバム用に作った曲。
09 WEDDING SONG
この曲は、何回かライブでも歌ったので、よく覚えている。僕がこの曲が好きだったからだろうか、知らないうちに頭の中に残っていたらしい。今回この曲を改めて聞いて、全体の雰囲気や、途中のトランペットの間奏など、色々なアイディアが、3年後に作った「HELLO」の中に生きていると思った。
10 いちごの片思い
歌の最後のロゴでわかる通り、明治のストロベリーチョコのCM用に書いたのだと思う。ただ、使われているかどうかはわからない。
11 あなた一人でもネ
ラベルに(大阪ガス)と書いてあるので、CMか企業イメージのキャンペーンソングとして書いたものだろうと思う。
でも、今聞くと、「あなた一人でもネ 私がいる」というフレーズが公共広告機構(ACジャパン)のキャンペーン曲のようだ。大阪ガスからこういうフレーズのリクエストがあったのだろうか。
ところで、僕は、あの忙しかった1979年ごろに公共広告機構のCMに出たことがある。当時の事務所の担当者からは、出演料はないけれど、このCMに抜擢されるのはとても名誉なことなのだ、ということを告げられただけで、一体何のためのCMで、どうしてぼくが出演することになったのか、そもそも公共広告機構というのは何なのかということはあまり説明がないまま、撮影に行ったのを覚えている。
ぼくは、日本のオリンピックの歴史の中で欠かせない1936年のベルリンオリンピック女子平泳ぎで金メダルを取った、「前畑がんばれ」で有名な前畑さんと共演するということだけが楽しみで現場に行ったのを覚えている。
前畑さんは、ぼくの父親と同じ1914年生まれなので、ぼくが会ったときは65歳ぐらいだったと思うが、華麗な泳ぎを披露してくれた素敵なおばあちゃんだった。
12 いつでも気にかけていてネ
この曲も、(大阪ガス)とラベルに書いてある。多分2曲作ったうちの2曲目だと思う。
13 て・れ・な・い・で
この時、コロムビアレコードの有名なディレクターから連絡がきて、黒沢年男さんに曲を書いて欲しいと頼まれた。一度会って欲しいと言われて、コロムビアのそばにあるレストランで、昼飯を食べましょうと言うことになったのだが、やけに無愛想な人で、ほとんど、話もしないまま、食事をして別れた。スターってこういう人のことを言うのかな、と思った。
30年ほど時が経って、たくさんの歌手の人が出演するコンサートで一緒になることが何回かあった。
黒沢年男さんは、僕の曲を歌ったことは覚えていて「ああ、あれは難しかった」とおっしゃっていたが、初めて会った時の無愛想さは消えていて、とても気さくな人になっていた。
あの時は、お互い意識しすぎていたのかもしれない。
14 て・れ・な・い・で 2
最初の「てれないで」にNGがでて、書き直したのだが、今回も、採用されなかった。
サビの頭の『てれないで』のところもいいし、何より、『甘い言葉は趣味じゃない』のところが良かったと思ったのだが。
ただ、確かに、自分でも、もう一つ思いっきりが足りないと思ったのだろう。思いっきりのいい曲を次に書く。
15 て・れ・な・い・で 3
かっこいいけれど、ちょっとポップすぎるのは自分でも感じたと思う。もう1曲書いた。
16 て・れ・な・い・で 4
イントロも歌い出しも、とてもわかりやすい。サビも最後の決めも、申し分ない。これがやっぱり、シングルだよね。
ちなみに、この曲、バレンタインデーのお返しのホワイトデーのキャンペーンソングだったのだが、まだ、ホワイトデーが浸透していなかったのもあって、あまりヒットしなかった。
17 ここちE
当時、薬師丸ひろ子、原田知世、に続く、角川映画3代目のアイドル女優として数多くの角川映画に主演していた渡辺典子の6枚目のシングル曲。確か、化粧品のCMだったと思う。
18 TOKYOサバンナ
ここちEの2曲目として書いた曲。1曲目は元気なここちEで、こちらの方は、ちょっと大人のここちEを表現してみた。結局、東京サバンナとタイトルと歌詞を変えてシングルのB面になった。
