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HOME RECORDING DEMO ARCHIVE SERIES  VOL.33
解説

01 WHERE'S OUR HERO

 奈良橋さんが脚本と歌詞を書いて、当時慶應大学の学生だった別所哲也さんが

主役を演じた学生用のミュージカル「RETURN TO AFRICA」用の曲。最後に近い

ところで歌われる、戦いの歌。

02 J・E・A・L・O・U・S・Y

 ご存知、池田聡さん用に書いた曲。最初から湯川れい子さんのこの歌詞を渡されていたのだと思う。歌詞そのままで作っている。日本語の歌詞に合わせて作った曲としては、1番の出来ではないだろうか。

 それから、確か、先方の音楽出版社のディレクターから、雰囲気はAOR(大人っぽいおしゃれな路線)でお願いしたい、というような注文を受けたのだと思う。その時に、思いついたピアノのフレーズを、イントロから曲の中までずっと展開させていくおしゃれなアレンジの曲になった。

 ところで、なぜ、最初の歌詞やタイトルをやめて「J・E・A・L・O・U・S・Y」で販売して、その後、もう一度、最初の歌詞の「NO APOLOGY」を出し直したのか、全く事情は知らないが、両方とも、池田聡さんサイドがうまく作ってくれたと感心している。

03 DANCE IN SPACE

 これも、ミュージカル「RETURN TO AFRICA」用の曲なのだが、内容は、1986年1月のチャレンジャー号の爆発事故にショックを受けた奈良橋さんが書いた歌詞らしい。  

 僕の方は、そんなことは知らずに、渡された歌詞に美しく力強い曲を書いた。

04 雨のフォーチュン

 池田聡さん用に書いたもう1曲。この曲も最初から日本語の歌詞があった。それにしても、この池田さんに提供した2曲、日本語の歌詞が先にあったのに、とてもうまく書かれている。驚きだ。

05 霧の吐息

 誰か、女性アイドルの人に書いた曲だと思うけれど、結局使われていないみたいで、誰に書いたのかわからない。

06 十二夜 祭り+ダンス各種

 '86年7月に日比谷日生劇場で上演された野田秀樹さん演出のシェークスピア作品「十二夜」のために書いたインストロメンタル数曲。

 商業用の舞台音楽を全て担当するのは初めてのことだったので、色々と失敗したし、野田さんサイドにたくさん迷惑をかけたので、とにかく印象深かった仕事なのだが、その中でも、特に、最初の打ち合わせの時の失態が、今でも思い出すたびに恥ずかしい。

 その日、僕は、前の日に飲みすぎて、というより、きっとその日の朝まで、飲んでいて、時間に遅れて、おまけに、まだお酒が切れてなくて、半ばフラフラの酒臭い状態で待ち合わせ場所の喫茶店に行った。

 それでも野田秀樹さんは、演劇の人なので、酒臭い人間には慣れているらしく、そんな僕を目の前にしても、ニヤッとするだけで、それほど嫌な顔もしなかった。

 しかし、さすが東大出身の無駄のなさで、いきなり、酔っ払い相手に台本のどこからどこまでどういう音楽が必要かという詳しい打ち合わせをし始めた。

 こちらも、台本は読んでいて、ある程度、音楽のイメージは作ってあったはずなのだが、いかんせん、酔っ払いで、何も頭が働かない。

 先方に言われるがままにメモを取って帰る、と言う僕にしては大失態、大敗北を喫してしまったのだ。

 この時「十二夜」はお祭りが大事な芝居だから、と言われたことが印象に残った。

 それもあって、最初に音にしたのが、このお祭りとダンスの音楽。

 ただ、僕は、お祭りで大はしゃぎするような性格でもないし、世界各地のお祭りに詳しいわけでもなかった。想像と独断で音楽を作った覚えがある。 

07 十二夜 未完成

 「十二夜」がシェークスピア作品ということで、それなら、テーマ曲は何かクラシックの名曲がいいと考えた僕は、シューベルトの「未完成」に白羽の矢を当てた。

 その頃、次々と新しい機械の楽器を手に入れていた僕は、その楽器たちを使って、クラシックを新しい楽器でポップに蘇らせることができるのではないか、というアイディアを持っていた。その頃の機械は、今のように、ほとんど実際の楽器と同じ音が出るものではなかったが、逆に、とても個性的な音がするものが多かった。

 だから、オーケストラで演奏するものとは違うサウンドでクラシックを演奏させることができるのではないかとワクワクしていた。

 そして、その機械で演奏するオーケストラの曲の最初として、その時、この未完成に取り掛かった。

 オーケストラ用の楽譜を手に入れて、その譜面を解析しながら、できるだけ簡素でも結果が力強くなるように考えて、機械で演奏させた。

 僕としては、とても、納得のいくもので、これをスタジオで仕上げれば、かなりのものになると満足したのだが、野田秀樹さんは、このアイディアを気に入らなくて「せっかくタケカワユキヒデに頼んだのだから、オリジナルを書いて欲しい」と言われて、このバージョンは文字通り、「未完成」になってしまった。

08 SEPTEMBER SUMMER

 伊藤麻衣子さん用に書いた曲。

09 悲しいボーイフレンド

 これも、伊藤麻衣子さん用の曲。僕のイメージではもっとたくさん伊藤麻衣子さん用に作曲したと思っていたのだけれど、記録にはこの2曲しか残っていない。

10 バースデイ

 こういうオールデイズの曲を作るのは大好きで、おまけに得意らしい。ただ、問題はなんのために書いたのかがわからない。

11 ともしび

 すごい。このお世辞にも音がいいとは言えない、ギターのような楽器音だけで、1曲演奏させて、サウンドとして成立させている。

 ところで、この曲だが、多分自分のアルバムのことを考えて作った曲だと思う。

 このころ、僕は自分がどういう曲を自分の歌として世に出したらいいのか、決めかねていた記憶がある。

 そういう時に、シェークスピアやモーツアルトを深く体験したので、ぐるっとまわってこういうシンプルな曲に行き着いたのかもしれない。

12 ククルクク 願いを鳥に託す

 これは、沖縄のグループ、「ISLAND」に提供した曲だが、「ともしび」と同じように、元は自分のために書いた曲だと思う。

13 ナタリー

 これも、自分のために書いた曲。自分のアルバムの方向性を無理に決めないように、あえて、ピアノだけで歌っているのだと思う。

14 微熱に抱かれて

  この曲が、前回に紹介した森恵さんの2枚目のシングル。

15 JUST BE READY

 '86年の春頃だと思う。「学生街の喫茶店」の大ヒットを持つ元ガロの「ヴォーカル」大野真澄さんが事務所を訪ねてきた。大野さんは元々、60年代に元「タイガース」の加橋かつみさん主演で上演されたミュージカル「HAIR」のキャストだった。その作品のアメリカ人の演出家の通訳としてジョニーが仕事をしていた関係で、ジョニーと仲がよく、僕も何回か会ってお互い知っていた。

 その時、大野真澄さんはディレクターをやっていて、自分が担当しているアーティストのための楽曲を僕に頼みたいということだった。

 ただ、普通に曲を頼まれるのと話が違った。その曲は英語で録音して発売するので、イギリスで現地のアレンジャーにアレンジしてもらって、現地のミュージシャンに演奏してもらう、ということだった。

 僕は2曲頼まれた。

 歌詞は奈良橋さんに書いてもらって、僕は2つの歌詞に2つづつ、計4曲書いて渡した。

 イギリスの音楽家が聞くデモだから、どの曲にも、ちょっと気張っておしゃれなアレンジを加えて渡した。

 イギリスの録音を終えて帰ってきた大野さんに会った時に僕にこう言ってくれたのを覚えている。

 「向こうのアレンジャーがさ、タケの曲だけ、デモの通りのアレンジにしたいって言うんだよ。どうしてって聞いたら、あれが一番いいからだって言うんだ。さすがだね」

 僕は最高な気分になった。

16 QUIET INVASION

 もう一つ、イギリスに行った歌。

17 QUIET INVASION 2

 QUIET INVASIONの別曲。

18 JUST BE READY 2

 JUST BE READYの別曲。

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