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HOME RECORDING DEMO ARCHIVE SERIES  VOL.17 
解説

01 SO HELPLESSLY

素晴らしく綺麗な曲。多分「スウィート・チェリーパイ」の北原佐和子さん用に書い

た曲だと思う。
いいデモが作れたので、ここからずっと作った曲を記録として取っておこうと決めた

きっかけの曲だ。 この頃、作曲家としても頑張っていきたいと考えていた僕のため

に、事務所が持ってきた仕事だったのだと思う。でも、きっと、曲を頼んで来る方の

関係者の人たちは、僕がゴダイゴのヒット曲をたくさん書いた作曲担当だということしか知らないまま、アイドル用のヒット曲を望んでいて、こちらの関係者は、英語の歌詞で僕が曲を作ると、当時の日本の音楽シーンとは全く違う方向を向いてしまうということに気がついていないまま僕に、英語の歌詞を渡したので、そのせいで、曲を頼んで来た方の人たちは、これじゃない、と困ったのだと思う。実際、このSO HELPLESSLYは使われていない。この後も、僕は北原佐和子さんに何曲か見当違いな曲を作ることになる。が、長いスパンで考えると、少しでも、その平行線が近づく様になったのは、北原さんへ、色々なスタイルでたくさんの曲を書いたからだと思う。
結局、北原佐和子さんへの曲の提供は、この後に作る、「スウィート・チェリーパイ」と「ステキ大好き」と「私のシークレット」の3曲にとどまることとなった。使われた3曲のうち「ステキ大好き」と「私のシークレット」には、この先、DEMO 18、そして、DEMO19で詳しく触れていきたいと思う。

02 THE FIRST NIGHT I'M AWAY FROM YOU

これも、素晴らしく綺麗な曲。この曲も、多分、北原佐和子さん用に書いた曲。とにかく、夢見る少女の気持ちを曲にと言われて、英語の歌詞を渡されたら、(そう言われたかどうか、覚えていないが、そうだった気がする)こういう風になるでしょう。

 

03 SO HELPLESSLY 2

きっと、サビとサビの間をつなぐ新しいメロディを思いついたので、いても立ってもいられなくなったのだと思う。凝り性な僕は、1曲目のデモを作った2日後にそのSO HELPLESSLYのサビとサビの間のメロディを変えるために、全てを歌い直して 2のデモを作っている。

04 BOOGIE WOOGIE TAXI (ONLY CHORUS)

1981年の11月に、ゴダイゴのプロデューサーのジョニーが、突然、ジャズコーラスのグループを作ると言い出して、曲を書いてくれとこのBOOGIE WOOGIE TAXIの英語詞を書いて持ってきた。コーラスグループは男一人、女二人。男性のアンディは元々シャープホークスというグループ・サウンズ時代のコーラスグループでリードを取っていた、歌の上手いハーフの人で、女性二人のうち、ボビーはソロのロック歌手、そして、リカはミュージカル女優、と経歴がバラバラで、誰もジャズをやってきたことがない三人だった。グループ名は、三人の名前のイニシャルを取って、B.A.R.にすると言う。この何ヶ月か前にPiano Blueを作って、すっかりJAZZっぽい曲に自信があった僕は、曲を作ることを承諾するついでに、提案を一つした。「コーラスパートもデモの時に僕に決めさせてくれない?」これは、結構、画期的なことだった。普通は、アレンジャーが考えてつけたコードやフレーズに合わせて、そのアレンジャーか、特別な時はコーラスアレンジを担当するアレンジャーがそのコードに合うようにコーラスをアレンジするのだが、僕は、全体のアレンジの前にコーラスパートをアレンジして、全体のアレンジを、そのコーラスに合わせたコードでやってもらうように提案したのだ。

05 BOOGIE WOOGIE TAXI

コーラスだけのバージョンは、実はメンバーのために、練習用に作ったものだったと思う。この時は、それ以外に、一人一人のパートだけの音資料も、練習用に作った。そして、これをコードとしてまとめるのがすごく大変で、とにかく、時間をかけて完成させたのを覚えている。

 

06 CHUG CHUG TRAIN

TAXIの後だということで、ジョニーが汽車の歌詞を書いてきた。すぐにいい曲ができた。BOOGIE WOOGIE TAXI で1曲仕上げてあるので、2曲目は、作業の効率もよくて、悩まずに作れたと思う。

07 CHUG CHUG TRAIN 2

ほとんど1と変わらないな、と思って聴いていたら、エンディングが盛り上がる様に変えてあった。前の曲のクールな終わり方も、捨てがたいのだが、きっと、最後を盛り上げて欲しいという要望があったのだと思う。

 

08 THE SUNRISE

この曲がテーマソングになって、ゴダイゴが出演したテレ朝系の番組「世界の初日の出」を成立させたのが、当時ゴダイゴの事務所でB.A.R.のマネージャーをやっていた日高氏。彼は、ゴダイゴの事務所を離れた後、日本初のロックフェス、「フジロックフェスティバル」を創立して、20年以上経った現在もプロデュースし続けている。

 

09 スウィート・チェリーパイ

このデモは、21年の8月舟山くんとの「僕はsinger」の時に、聴いてもらったことがある。北原佐和子さんの2枚目のシングルのA面になった曲。今までに書いた曲が、綺麗な曲ばかりだったので、オールディーズみたいな曲を書いてみたらどうだ、と言われたのだと思う。張り切って作っている。

10 SCHOOL DAYS ARE OVER

何のために書かれたのか、わからない曲の一つ。ただ、作った日付から考えてみると、やはり、これも北原佐和子さんのために書いた曲ではないかと。とにかく、美しい曲だけれど、やはり、北原さんが歌うのには、ちょっとタイプが違うと思われたのかも。もちろん、使われていない。

 

11 THE BEAUTY OF LOVE

もう、この曲になると、いよいよ、誰のために何のために書かれた曲なのか、全くわからない。もちろん、北原さんのための可能性が一番高いけど。でも、素晴らしい曲だ。

 

12 ブルー&ブルー (リズムボックスなし)

「私はピアノ」「硝子坂」などのヒットで知られる、高田みづえさんのために書いた曲。この「PAINT MY FEELINGS」をプロデューサーのジョニーがすごく気に入って、僕の次のアルバムは、この路線で行こうということになったと覚えている。高田みづえさんは、この曲を「ブルー&ブルー」というタイトルで歌って、僕の次のアルバムのタイトルは「白い街角」になった。
白い街角のアルバムのデモは、この後、DEMO 18、そして、DEMO19でたくさん紹介できると思う。

13 ブルー&ブルー (リズムボックスあり)

リズムボックスがあった方が、僕は好きだ。英語のタイトルは「PAINT MY FEELINGS」

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